外資系金融マンの読書ブログ

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成長のための犠牲をポジティブにとらえられるか

アマゾン・ドット・コムの成長にはきわめて大きな犠牲が伴った

ジェフ・ベゾス果てなき野望を読み終えた

結構長い本だったので3日間かかったが、ようやく読み終えることができた。書き溜めた記事なので、実際には半月ほど前に読み終えたのだが。

この本を読んでいて感じたのが、アマゾン・ドット・コムがきわめて大きな犠牲を生み出しながら成長してきたということである。

アマゾン・ドット・コムが生み出した大きすぎる犠牲

人員的な面では、無理な成長のために大幅に人員を削減したり、失敗したプロジェクトに所属していた部署ごと解雇したりしている。競合へも影響を与えている。赤字覚悟の価格競争を仕掛けては、競合他社を倒産に追い込んでいるのだ。

人生を台無しにされた従業員・経営者は数えられないくらいいそうだ。しかしいま、アマゾン・ドット・コムは世界一の企業を争うまでに成長している。大きな犠牲を払っただけの成果は出ているといえるだろう。

ベゾスの経営手腕は私がコメントするのが恐縮なくらいに優れており、それはだれも疑っていないと思う。

しかし、本書を読む中でアマゾン・ドット・コムが払った莫大な犠牲が、あまりに大きすぎるようにも感じられる。ベゾスの気まぐれともいえるような「戦略」のために、たった数週間で解雇された従業員などの話を見ていると、もし自分がこの立場だったらどう感じただろうかと考えてしまう。

犠牲をポジティブにとらえられるか

本書を読んだ人の多くが「こんなに犠牲を出して心は痛まないのか」といった感想を持つのではないかと思う。

しかし、この感想は正しくないだろう。ベゾスのような経営者を理解する上では、おそらく別の解釈が必要になる。

やむを得ず犠牲を払ったのであれば、犠牲を払った人には「犠牲を払ったぶんだけ成果を出す」責任があるのではないかと思う。

すでに生じてしまった犠牲はサンク・コストなのだ。いまから犠牲を解消することはもはやできない。

犠牲に対する責任のとり方は、成果であって補償ではないのだ。

裏を返せば、犠牲に対して成果を出すことで責任を取る人が成長し、犠牲に対して補償をする人が衰退するのではないかと思う。

言葉選びは難しいが、社会的成功と呼ばれるものを手にしている人の多くは、前者の考え方を持っている。

また、少し厳しい意見かも知れないが、犠牲を恐れて保守的になっている人や企業がなんらかの成功を収めているところはところはほぼ見られない。それどころか、まともに補償していることすら稀だろう。

その点では、アマゾン・ドット・コムはすばらしく責任感のある企業である。

犠牲を払わなかったら犠牲者はいないのか

逆説的だが、犠牲を払わなかった場合には、より多くの犠牲が生まれると思う。

日本の財務体質などが典型的ではないだろうか。誰かを犠牲にして改革をしたりしないから、徐々にゆでガエルのように危機が迫ってきている。いつかは国中に影響を与えるような問題が生じるかもしれないが、多くの人は「いつかはそうなるだろうけれど、自分が生きているうちは大丈夫」といった精神で目をそらしている。

東芝もそうではないだろうか。いつかは問題になることがわかっていながら「自分の任期中は大丈夫」というような発想で不正文化が醸成されたのではないかと思う。要するに、犠牲を払わなかったから大きな犠牲が生まれているのだ。

個人レベルでは転職が当てはまる*1。転職したほうが良い状況であっても、(実際には搾取されているだけなのに)今までお世話になったからと言って転職しないのだ。もしくは、年収が下がるのを受け入れたり、いままで築いてきた人脈を捨てたりする度胸がないだけだ。

大きな犠牲を生み出さないために、些細な犠牲から始めてみるとよいのではないだろうか。

*1:転職の話題をよく出しているが、転職サイトのアフィリエイトを貼っているわけでもないので、ポジショントークではないことを理解していただきたい。ニュートラルに考えても、日本企業に勤めている人は転職に億劫になりすぎている。転職しないことが自分自身にとってデメリットであることに薄々気づいているにもかかわらずだ。